「クラインの壷」 岡嶋二人


『さしずめ、今の僕は、自分の尻尾をくわえた蛇みたいなものだろう』


クラインの壷」とは、メビウスの輪と同様に、トポロジーで使われる「表も裏もない」立体図形のことである。

 主人公の上杉彰彦は、落選したはずの小説をゲームの原作として買い取りたいと、謎の企業から打診される。契約を結び、テストに原作者として参加する事になった彼の前に、もう一人のテスター高石梨沙が現れる。「クライン2」システムが創り出す、恐ろしい程に生々しい質感を持った仮想現実のゲーム世界に飛び込む二人。たった二人だけのテスターである彼らは急速に接近するが、やがて梨沙が行方不明になって……。というのが本作の序盤のストーリーだ。

 仮想現実をテーマとした作品は「ニューロマンサー」、「serial experiments lain」や「.hack」、最近では「ソード・アート・オンライン」などが有名だろうか。「クラインの壷」も、完全なるヴァーチャルリアリティの世界で遊ぶ、という点では「.hack」などと同様であるが、ミステリィ仕立てという点において、1989年に出版された本作は、その先駆けであると言える。手垢のついた題材ではあるが、古典「ニューロマンサー」から、現代の「ソード・アート・オンライン」へと、連綿と続くこの仮想現実というテーマに、我々は心魅かれ続けている。
 誰しも、気晴らしや暇つぶしにネットゲームにはまったことはあるだろう。現代の漂泊者のみに許された、此岸(しがん)と彼岸を行き来できる遊戯だ。継ぎ目のない繭に包まれて、全能感に身を浸す至福の時間。仮想現実という名の、時限的な胎内回帰。そこで一時癒され、現実への活力を充填し、また戻る、戻る事ができる。正しい航法(マニューバ)だ。
 だが、その一方で戻れなくなる人々も多くいる。「表も裏もない」現実とも仮想とも判然としない泥濘(ぬかるみ)に足を踏み入れ、抜け出せなくなる。いや、抜け出そうとしないのだ。彼らは正気に戻った時、痛みを伴い現実世界にもう一度産み落とされる事になる。この、ままならない世界に二度も産み落とされる苦しみ、それはどれほどだろうか。

 思い出したくもないな。